自殺志願者を巻き込んだ殺人事件のお話
どうもです。暁月 佑です。
新年早々にこんなタイトルを書くと思っていませんでした。
ですが、今回、なぜこのタイトルにしたのか疑問に思う方もいるでしょう。
それは、最近、自殺志願者に対する殺人事件がニュースで良く取り上げられることが多くなったからです。
そしてもう一つ、私とよく(リアルで)関わっている方にはお話するのですが、
私は過去、自殺をしようとしたことがあるからです。(小学校高学年の時)
このような事、ブログに書くことを「不謹慎だ」と言う方もいるかもしれません。
確かにそうかもしれません。
自殺について書くなんて、今の世の中では許されないのかもしれません。
ですが、私はこのような事件に対して、『元自殺志願者』としてお話すべきなのではないのだろうかと思ったのです。
今の私はまた自殺をしようと考えてはおりませんので、冷静にこれらの事件に対する意見を述べられると思います。
それでは、イントロダクションはこれまでにしましょう。
〇なぜ自殺者を狙うのか
一言でいえば、『誘いやすいから』というのが分かりやすいのかもしれません。
私自身、自殺をしようとしていた当時は、自発的に何も考えられませんでした。
よく言えば「従順な子」だったのでしょう。
言われたことは素直にやり、煽られるとすぐに何らかの反応を返す。
イジメが原因で命を絶とうとしていた私の当時のピークはそんな感じでした。
自殺志願者は疲れているのです。だから、言われた通りにやるのが楽なんです。私はそう思います。
しかし、自殺が未遂に終わってしまった私には、一つの感情が今でも残っております。
それは、『他殺願望』です。
他殺願望とは、「他者に殺されて死にたい」という心理的願望の事です。
この話は、本当に仲のいい数人の友人に相談したことがあるのですが、誰一人として理解されませんでした。
私の考えでは、この『他殺願望』というのは、他人によって自殺を止められた人に多くあらわれる感情なのかもしれません。(完全な推測なので間違っている可能性は高いですが)
私自身、イジメにあって心を病み、自殺を志願して、死のうとした時に学校の先生に止められました。それゆえ、自分の人生を左右したのが大半他人なんですね。
実家では小さいころDVや過度な期待を受け、自分のやりたいことは基本的にできませんでした。つまり、私を構成するものは殆ど他人によって与えられたものでしかありません。
なので、自分の人生を自分で変えるという事を諦めているのかもしれません。
家庭環境は人それぞれですが、
もしかしたら、「親に反抗してた」という人もいるかもしれません。
私から見たらとても羨ましい限りです。
そういう方も様々な葛藤を経験すると思いますが、親に反抗できるほどに自らが他に対して作用させることができるのです。
私はそういうの苦手です。
過去に自分の人生について書いた記事がありますのでよかったら読んでみてくださいませ。
まあ、こんな感じに基本的にはネガティブな人間でした。
(最近は頑張ってポジティブな思考に切り替わりつつあります!!)
てなわけで、自殺志願者は基本的に「狙いやすい」訳なんだと思います。
〇何故に人を殺すのか
これに関しては、『他殺願望』がある私には『殺害願望』については推測でしかわかりません。
ちなみに、『他殺願望』とか言っていますが、今は「もし死んでしまうのならば他殺がいいな」と思っているだけで、私はまだ死にたくありません!!!(断言)
まず、『殺害願望』とは、その読んで字の如く、「他人を殺害したい」という心理的願望の事です。
また、ご存知の通り『殺害(殺人)』という行為は日本の法律によって罰せられます。
また、動物であろうとも『器物破損』(動物は法律的には『物』として扱われます)という罪で罰せられます。
つまり、理性があるのであれば殺人・殺害は絶対に起きえないことですね。
では、『何故に人を殺すのか』という事です。
これに関しては、二つの要因が考えられると思います。
一つ目は、「幼少期の教育」が原因だと思います。
『教育』と言っても、子供を保育園・幼稚園に預けるとかそういう事ではなく、
子供に「他者(物も含む)を大切にする心」というのを如何にして考えさせ、身に着けさせるかという事です。
最近、「子供の身が危険だから」という理由で、公園から遊具を撤去したり、そもそも、遊びを禁止しているという話を聞きます。
私が保育園、小学校時代はちょうどその境目で、とある公園ではジャングルジムも滑り台もシーソーも鉄棒も何でも遊び放題の所もあれば、ボール遊び(パス回し)や鬼ごっこだけでも管理している方に「二度と遊ぶんじゃない!!」と叱られたりもしました。
結果、私たちの間では「携帯ゲーム機」や「トレーディングカードゲーム」が流行りました。
これは結果論ではありますが、携帯ゲーム機やトレーディングカードゲームで「他者の痛み」って分かるんでしょうか?
少なくとも私は分からないと思います。
なぜなら、私もゲームは大好きですが、『ゲーム』って物理的な痛みは感じられませんよね。
それ故、危険な行為(チートや煽り、違反行為)って最近の一部の子供たちは『何がいけないの?』というような感じで攻撃的な態度をとるようになっています。(少なくとも私が知っている子供はですが……)
強ければいい、自分が良ければいい、カッコよければいいなんていう自分よがりな行為、他者の痛みは分かりません。
公園ならば、危険な行為をすれば怪我に繋がります。
怪我というのもは最悪の事を考えれば確かに防ぎたいものですが、痛みを伴う事で「こういうことはやめた方が良いんだ」って考えると思います。
ですから、次回からはそのような行為をしないようにルールを守ったり、自分なりに工夫して遊びます。
つまり、危険察知能力が付きます。ルールを守るという事が身に付きます。工夫するという知能が付きます。
まあ、ゲームにも危険なシーンとかルールを守らなければゲームオーバーになるとか、強い敵に対して味方との連携とか工夫とかをして立ち向かうという要素を含めればいいと思うかもしれません。
ですが失敗した時って、痛みを伴わない分「クソかよ!」とか「は!?氏ねし!」とか八つ当たりや怒りの部分が出てくると思います。
要するに、そういうものの積み重ねによって「他者の痛みが分からない」という人が増え、人を殺してしまうのではないかと思います。
長く書きましたが、ここからが二つ目です。
それは、「自分の感情・衝動を抑えられない人が増えた」という事です。
今の世の中「自分を表現しよう」なんていうキャッチコピーが流行っていますが、
だからと言って、自分の衝動に懐疑心を持たずに解き放ってしまう方がおります。
最近の「インスタ映え」や「ハロウィン」の裏社会であるように、食べ物を粗末にするやごみを平気で路上に捨てるといった行為。いくら何でも許せるものではありませんよね?
ですから、最近の世の中の風潮として「やりたいことやったもん勝ち(その後は知らないけどな)」というような無責任なものが漂っている気がします。
つまり、「自分の感情は表に出すもの」「やりたいことはやらなくてはいけない」というように何の懐疑心も持たずに行う人が多いのです。
よく日本の世の中では、犯罪が起きると「ロリコン」「オタク」「リョナラー(詳しくは下のリンクで)」とか言われてマスコミに取り上げられ「犯罪者には特殊な性癖があった」なんて言われることが多いです。
これに関しては、私はおかしいと思います。明らかな情報操作です。
私は思うに、「特殊な性癖」ってよほどのことが無ければ存在しないと思います。
世に言う「ロリコン」って言うのは、中学生以下のような見た目の子を愛でる人ですよね?
ですけど、小さい子が可愛いなんてあたりまえじゃないですか。小さい子が可愛くなかったら何が可愛いって言うんですか?
「オタク」って、マスコミ的には「アニメオタク」が主流っぽいですが、アニメが流行ると犯罪が増えるって証拠、どこにあるんですか?
あるんだったら出してください。むしろ、アニメによって自分の趣味嗜好が満たされて犯罪は減ると思うんですけど。
また、今回の座間市の事件に見られるような「リョナラー」の犯罪。
遺族の方には申し訳ないですが、言ってみればSMプレイも似たようなものですよね?
誰かを恥ずかしめ……ゲフンゲフン、人より上の立場でいたい、人にいろいろ言われたり支配されるのが好きっていう趣味嗜好ですよね?
つまり、私が思うに「特殊な性癖」って、どんな言葉にもできない性癖の事を言うんだと思います。
要するに、性癖って犯罪に関係ないんですよ。(方法は寄るかもしれませんが)
それって、ナイフで殺害とか、毒を盛って殺害するとかそういう手段の類でまとめられますよね?
大事なのは、「この行為、本当にやっていいのだろうか……」という懐疑心があるかどうかなんですよ。
つまり、これを欠いてしまったから問題が起きてしまうのです。
〇最後に
一般的に、自殺者志願者って言うのは「死にたい」とか「殺して」って言ってなきゃ自分の中で自分の存在意義を保てないんです。
本当に自分は存在してていいのだろうか……という葛藤の中で「死にたい」という言葉が出てくるんです。
みんな、心の中では生きたいんです!!
どうか、忘れないでください。
P.S. どうか、葛藤している人が身近にいたら、そっとしておいてあげてください。もし、助けを求められたら優しく手を取ってあげてください。
以上です。
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