人は何のために生きるのか
人は何のために生きるのか……。
ひとことで言って『わかりません』
分かってたらこんな記事は書きませんよ。
でも、「人生に意味はあるのか」については考えることができると思います。
人生の意味(アルフレッド・アドラーに学ぶ)
アルフレッド・アドラーとは
皆さんは『嫌われる勇気』という本を聞いた、または見たことはあるでしょうか?
もしかしたら、最近は「ドラマで観た」という人もいるかもしれません。
(ちなみにWikipediaではこのように説明されています)
アルフレッド・アドラー(Alfred Adler、ドイツ語発音: [alfreːt aːdlɐ](アルフレート・アードラー)、1870年2月7日 - 1937年5月28日)は、オーストリア出身の精神科医、心理学者、社会理論家。ジークムント・フロイトおよびカール・グスタフ・ユングと並んで現代のパーソナリティ理論や心理療法を確立した1人。
初期の頃のフロイトとの関わりについて誤解があるが、アドラーはフロイトの共同研究者であり、1911年にはフロイトのグループとは完全に決別し、個人心理学(アドラー心理学)を創始した。 *1
アドラー心理学とは
アルフレッド・アドラー本人は、『個人心理学(英:individual psychology)』という名前で呼んでおり、日本では『アドラー心理学』と呼ばれることが多い。
アドラーが自分の心理学について個人心理学と呼んだように、アドラー心理学では、個人をそれ以上分割できない存在であると考えることから、人間の生を、個人という全体が個人の必要な機能等を使って目的に向かって行動している、というふうに考えている。より具体的には、人間は相対的にマイナスの状態(劣等感を覚える位置)から、相対的にプラスの状態(優越感を覚える位置)を目指して行動している、と考えている。*2
アドラー心理学では
「5つの基本前提(5Basic Assumptions)」
という概念を用います。
個人の主体性(Creativity)
アドラー心理学では、『個人』をそれ以上分割できない存在であると考え、全体として『個人』が心身を使って目的に向かって行動していると考えます。
目的論(Teleology)
全体としての『個人』の目的は、生物学的には「個体保存・種の保存」、社会的には「所属」、精神的には「その人らしい所属」と考える。
全体論(Holism)
『個人』をそれ以上分割できない存在としているために、『個人』を「心や体などの要素の集合体」と考えるのではない。
よって、アドラー心理学では二つの相反するもの(心と体、意識と無意識、感情と思考の間の葛藤や対立)の存在を認めていない。
これらは目的に向かうためのアクセルとブレーキのようなものであると考える。
社会統合論(Social Embeddedness)
アドラー心理学では、人間が抱える問題について、全体論から人間の内部に矛盾や葛藤、対立を認めないことから、人間が抱える問題は、すべて対人関係上の問題であると考える。
よって、この時『個人』が行動するときには社会的な対人関係上の目的が伴う。
というより、社会統合論というのは、社会を統合するという意味ではなく、社会に統合されている個人の方が近いかもしれない。
仮想論(Fictionalism)
アドラー心理学では、全体としての『個人』は、相対的マイナスから相対的プラスに向かって行動する、と考える。
しかしながら、それは、あたかも相対的マイナスから相対的プラスに向かって行動しているかのように思われるだけであって、実際に、相対的にマイナスの状態が存在するとか、相対的にプラスの状態が存在するというわけではない。
人間は、自分があたかも相対的マイナスの状態にあるように感じており、それを補償するために相対的プラスの状態を目指しているかのように行動するのである。
ちなみに、これに関しては、哲学の『認知論』の問題である。
幸せになるためには
アルフレッド・アドラーは、自己を形成するのに必要な要素を三つ上げている。
『自己寛容』『他者信頼』『他者貢献』の三つである。
自己受容
アドラーは言いました、
「大切なことは何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うか」であると。
これに関しては、『劣等感』と『劣等コンプレックス』というアドラー心理学での考え方が大元にあります。
前者は、「その人が他者より劣っていると感じる」という事であり、後者は「劣等感を使って人生の目的から逃げる」という事である。
例を使うなら、「私は美人じゃない。だから、結婚ができない」というのが分かりやすいと思う。
いくら「美人じゃない」と言ったって、与えられたものは他にもあるだろう。
もしかしたら頭が良いかもしれない、または運動神経が良いかもしれない、それまた料理ができるかもしれない。
「自分には何も無いんだ!!」ではなく「ありのままの自分を受け入れよう」という事です。
ネガティブな「暗い」という性質は、言い換えれば「人を傷つけることが無いように、常に気を配るという事を気遣う事の出来るやさしい」という性格となるのかもしれません。
そうなるのであれば、人生変わるかもしれませんね。
他者信頼
まず、『自己受容』ができたとしましょう。
それでは次に「他者」に目を向けてみましょう。
例えば、「小学生の時にいじめられて人間不信になった」としましょう。
成長して小学生の時期が懐かしいと言えるような年になった時、思い出してみましょう。多くの人はいじめっ子について嫌味を言うかもしれませんが、たぶん、身近に優しくしてくれた友人もいますよね?
そういうことです。どんなに嫌なことがあっても優しい人や分かってくれる人はいます。だから、他人を全否定するのではなくて信じてみましょう。
アドラーはこのような幼い頃の話(作り話)を使ってカウンセリングをしていました。
他者貢献
自分を認め、他者を信頼したら次は何か。
それは『他者貢献』です。
上の二つを満たしただけの人を簡潔にまとめると、「自分はダメダメだけど、他の人は立派だよね。こんなんじゃ、私ってこの社会のお荷物だよ……」という事になります。
ではこの人が自分を幸せにさせてあげるには何が必要でしょうか?
それこそが『他者貢献』です。
「周りの人にありのままの自分を提供して喜ばれる」
そんなことがあったら皆さんも幸せですよね?
これには絶対に必要なことがあります。「自己犠牲」をしてはいけません。
アドラーは自己犠牲する人のことを『社会に過度に適合した人』という表現を用いて述べております。*3
では、他者に提供すべきものは何なのか。
実は何でもいいんです。
大事なのは物理的に他者に貢献することが大事ではなくて、「他者に貢献できている」「他者に必要とされている」と思えることが大切なんです。
まあ、最悪の場合、自己暗示でもいいってわけなんですよね。
本人がそう思えるのであれば。
人は何のために生きるのか
お待たせいたしました。
ここからが『人は何のために生きるのか』の答えになるかもしれない言葉です。
私の座右の銘でもあるのですが、アルフレッド・アドラーの言葉です。
それは、
「一般的な人生の意味は無い。人生の意味は、あなたが自分自身で与えるものだ」
というものです。
これを聞いて、「なんだよ。なでやりじゃねぇか」なんて思われたらすみません。
ですがこの言葉には、ちゃんとした意味があるのです。
人はそれぞれ社会に所属する『個人』です。
そして、その『個人』はその個体ごとに異なる目的があります。
ですから、「一般的な」人生の意味は無いのです。
もしかしたら、他者に影響を与えられるかもしれません。
ですが、人生の意味を与えることができるのならばあなた自身しかいないのです。
皆さんが自分自身の生きる意味を見つけてくれたら嬉しいです。
読んでくれてありがとうございます。
それではさようなら。
(参考文献)
岸見一郎『アドラー心理学入門 よりよい人間関係のために』KKベストセラーズ、1999年
大平信孝『本気で変わりたい人の行動イノベーション』秀和システム、2014年
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アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために (ベスト新書)
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