SNS<戻れない関係>
今回はSNSに関係したお話です。
昨今、SNSと言えば『Twitter』や『Instagram』に代表されるように、人と人とがスマホやタブレットを媒介し、顔の見えない関係を築いております。
そんな中、私は事件に巻き込まれました。
事件というと言いすぎなのですが、
簡単に言うと、『人と関係を切れなくなってしまった』のです。
私には大好きな全国対戦型ゲームがあります。
まあ、『ガンスリンガーストラトス』って言うゲームなんですけど。
このゲーム、『ボイスチャット』といって、ヘッドセットを使う事で全国のゲームセンターで味方になった人とお話しながらゲームができるのです。
そこで私は気の合うプレイヤーを見つけることができました。
もちろんTwitterでもフォローフォロワー関係でリアルの話もするような仲になりました。
しかし、彼の態度は突如として変わってしまったのです。
このゲーム、ランクシステムと言うのがあり、勝てば勝つほどランクが上がるのはもちろんなのですが、あながちプレイ回数=ランクと言っても過言ではありません。
つまり、どれだけお金を投入したかによってランクが決まるのです。
私は残念ながら、そこまでお金をつぎ込めるほど潤沢な財力はありません。
元々、私の方が早く始めており、私の方がランクは高かったのですが、いつの間にか彼とのランクは越されて離れるばかり。
Twitterでは、見下された発言や嫌味を浴びせられる。
簡単に「ブロックすればいいじゃん」というのも難しい。
(私は彼に本名も住所も知られているため)
今になって気が付いたのです。
「あっ、このまま関係を切ることができない。彼に不満も言えない私。どうしよう……。」
今更、関係が切れないことに気づいたのです。
元々は同じ位のランクで切磋琢磨する仲。
今や見下されて、ストレスになる仲。(これは私側の視界ですが)
SNSって便利ですけど、あまり深いところに入ってしまうと、精神的にもダメージを負ってしまうものなんだな……って。
SNSって怖いな……って思いました。
だからこそ、深く築く関係には気を付けましょう。
私のプライベートな話、すみませんでした。
救いの手は差し出されるのか
突然ですが、
皆さんは『救いの手』って信じますか?
(決して宗教じみたようなことは言いませんが)
私は一応、信じています。
誰に何を言われようとも、たぶん信じ続けます。
そりゃあ、嫌なことがあって、悩んで、苦しんで、自分が嫌になったり、周りを見て絶望したり、そんなにつらい経験をしているのに何も救いがないって言うのは酷すぎるからですね。
私だって好きで悩んでいるわけではありません。
もっと幸せになりたい、もっと上手くなりたい、もっと、もっと、と辛い今を変えるために悩んでいるのです。
誰しもそうだと思います。
ある人に言われました、『お前はメンヘラな自分が大好きなんだ』、と。
その人にとってはそう見えるのかもしれません。
でも、誰も批判的に言われるために「メンヘラになろう」と思って自発的にメンヘラになる人はいないと思います。
「メンヘラになりたい」と言ってなる人は、自分の特性としてキャラとして自分を引き立てるためになりたいと言ってるだけです。たぶん。
というか、「メンヘラ、メンヘラ!」と騒ぎ立てて何の利益があるんですか?
本当にメンヘラな人を見て嫌なのであれば、精神科を勧めるか、相談に乗るかしますよね?
世の中、特に日本では「一般的じゃない」「常識から逸脱している」「見た目が違う」ただそれだけの事で集団から排除したいという人が多いのです。
別に、今の世の中、人と違う事(もちろん犯罪を除く)をしても『村八分』なんてされませんよね?
確かに集団の和はトラブルを回避するためには最適の手段かもしれません。
ですが、集団の和を守るために行う排除運動・排斥運動という行為は、結局、トラブルを生んでしまいます。
すみません。話が脱線しましたね。
私は最近、自分を信じることができなくなってきました。
自分の得意だと思っていたことは、周りに比べて劣っている、と。
昔のように、情報が行きかっている社会じゃなければ、神絵師と解析する機会も少なく、井の中の蛙を極めてしまい、井戸の外に出ても恥ずかしくないくらい立派なカエルにもなっていたかもしれません。
だからこそ、自分は何をすべきなのか。自分には何ができるのか。
いっぱい悩んでます。
一般の人がどれくらい悩んでいるか分からないですけど、「メンヘラ」と呼ばれるくらいには悩んでいるという事ですね。
というか、メンヘラが何をしたっていうんd……おっと、心の声が漏れかけた。
世の中は、何も考えずに生きていればいるほど悩みも少ないのかもしれません。
ですが、何も悩まない人生なんて壁にもぶち当たってないし、何もしてないわけだから、薄っぺらい人生です!!
だからこそ、悩んで自分の人生をより良くしよう。さらには、世の中をよくしようと本気で悩んでいる人にこそ、「救いの手」というのは差し出されてもいいのではないでしょうか。
すこし長い記事になってしまいましたが、本日はここらへんで終わりにします。
駄文。愚痴。色々と失礼いたしました。
元自殺志願者が自分の辛い過去を武器に自分の道を切り開くストーリー
そうですか。
前の記事は半年も前ですか。
ということで、私、暁月佑は成長と自分の武器を最大限に活かすためにブログを書きます。更新します。
私は私の過去と今を武器にする。
辛い記憶も武器にする。
どうかよろしくお願いいたします。
さてさて、復帰後1回めのブログですが。
私らしく、自分語りをしたいと思います。
私には特技と言えるほどの特技はありません。
なんでも万能にこなせはしますが、初心者に毛が生えたレベルでしかこなせないわけんですね。
だから、私は「特技無し」なんです。
何をやらせても中途半端な人なんです。(断言するのもどうかと思いますが……。)
そして、なんと行っても『元自殺志願者』。
完全に社会不適合者なんですね。
そんでもって、毒親(進路を指定されてる)のおかげで、自分でモノを考えないおとなになってしまった。(もう21歳なんですよね)
やっと人間らしい、自分で自分のやりたいことやることをやりだしたのは大学に入ってから。
本来、思春期に行わなければならない、自己の確立を今更大学生になってからやるという人です。社会不適合者です。
これ以降のブログは、
『元自殺志願者が自分の辛い過去を武器に自分の道を切り開くストーリー(比喩ですが)』となります。
私がいつか、世界のどこかで辛い思いをしている人の支えとなることを信じて。
ただ、自己満足に終わるかもしれないけど、他力本願ではなく私が自分の力で切り開く人生となるために。
最期には笑って、『いい人生だった』と思って死ねるように。
努力していきます。
頑張るのです。自分のペースで。
それではさようなら。
また次回の投稿でお会いしましょう。